2018年5月3日木曜日

Work. Tokyo Night Page  Shibuya01


Shibuya river Bicycle parking space
漆黒の闇が絶望を包み、希望の光が雑然を悠然へと導く
ここはもっとも静謐な場所のひとつだ。

2016年5月7日土曜日

TOKYO SHOW WINDOW-03

トーキョーショーウインドウ TOKYO SHOW WINDOW
経済と芸術が奇妙に抱擁して新しい鋳型が形成される
その型からつくられたフォルムは私たちの叶わなかった願望
それは人間の悲哀の象徴である。
(TSW-03  中央区丸の内)

2016年4月18日月曜日

Solo Exhibition May 2016 Flyer

Solo Exhibition May 2016 Flyer

守野 航 写真展
「ト–キョ– ショ–ウインドウ」

【新宿眼科画廊】


スペースE
5月6日〜25日
12:00〜20:00
最終日17:00閉館
木曜 休館

銀塩モノクローム写真
10枚程の展示です。




2015年9月9日水曜日

多賀 新 銅版画『ノーブルウーマン』購入
Buy  Shin Taga Copperplate engraving
『Noble Woman』  



2014年9月29日月曜日

マイケル・ランディ アート・ビン  ヨコハマトリエンナーレ2014
Michael LANDY  Artbin     Yokohama Triennale 2014 



捨ててきました。
I threw away the trash Art




2014年5月28日水曜日

Solo Exhibition May 2014 Closing


守野航 個展
オキナワカラット

本日終了致しました。
お忙しいところ脚をお運び頂きまして誠にありがとうございます。今後も自分に衝撃を与えるものに心ゆくまで熱狂し、最後の最後まで存在することの危うさに挑戦します。





2014年5月3日土曜日

Solo Exhibition May 2014 Flyer


Solo Exhibition May 2014 Flyer


守野 航 写真展
『オキナワ カラット』

スペースE
5月23日〜28日
12:00〜20:00
最終日17:00閉館

Kou Morino
Photo exhibition "Oknawa Carat"
23 May.(Fri.) ~ 28 May.(Wed.),2014
12:00 to 20:00. Last day 17:00 Closed
Shinjuku Gankagarou ( E space )



2013年7月11日木曜日

BankART Artist in Residence 2013 7月12日〜21日


BankART Artist in Residence 2013


この展示では、私の過去のモノクロ写真を素材にしフォトコラージュを三点制作します。一点は200cm×140cm、他二点は100cm×70cmです。作品とBankART1929の建造物と空間とロケーションを合わせて鑑賞して頂けますと幸いです。

https://www.facebook.com/events/558073577565362/
http://www.bankart1929.com/






2013年6月22日土曜日

2013年5月29日水曜日

solo exhibition now closed. May 2013


守野 航 写真展『TOKYO HIGH WAY THEATER』26日にて無事終了致しました。
薫風のみぎり、多くの方々のご来場誠にありがとうございました。今後とも常に新たな題材を求め永続的に展開して参ります。
(次回は、横浜にありますBankART Studio NYK にて2013年7月12日~21日の展示を予定しております) 最後になりましたが、関係者各位、ご来場頂いた皆様、ご都合があわずお越し頂けなかった皆様のお力添えで本個展を開催させて頂くことができ大変感謝致しております。ありがとうございます。今後とも益々のご指導ご鞭撻を賜りますよう伏せてお願い申し上げます。

2013年5月13日月曜日

Completion of installation of the exhibition (TOKYO HIGH WAY THEATER)

守野 航 写真展 5月14日~
26日『TOKYO HIGH WAY THEATER』NADAR/TOKYO (http://nadar.jp/tokyo/) 展示の設置が完了しました。今回は四切バライタプリント36枚の展示となります。作品は額装せずに虫ピンにて固定しております、ですから額のダストカバーが御座いませんのでじかに作品をご覧に頂けます。印画紙の美しい質感を感じて頂けますと幸いです。
最後になりましたが、昨年に引き続き設置をお手伝いして頂いたギャラリースタッフの早苗マネージャーありがとうございました。

Kou Morino
Photo exhibition "TOKYO HIGH WAY THEATER"
14 May.(Tue) ~ 26 May.(Sun.),2013
12:00 to 19:00. Last day 16:00 Closed
Nadar Tokyo

2013年4月29日月曜日

Work.Tokyo Shinonome Jct-02 Photo

『TOKYO HIGHWAY THEATER Shinonome jct-02』
          Metropolitan Expressway
世界共通の様式がはびこり機械が地理的空間をつくり直し大企業と国家が生産を支配している。(建築家 ファン・アイク Aldo Van Eyck)

2013年4月3日水曜日

Solo Exhibition May 2013 Flyer

Work.Tokyo C1 nihonbashi-01 Photo

      『TOKYO HIGHWAY THEATER C1 nihonbashi-01』
Metropolitan Expressway
あまりにも有名な東京スポット日本橋
東京の戦災復興は財政難であった、焼跡のガラを処理する費用が無いため
銀座の三十間堀川などをガラで埋立その土地を民間に売却しガラ処理の経費とした
ですから日本橋も埋立の可能性があったのです。
首都高速が覆い被さったことに嘆くよりも橋と掘割が残ったことに
僕たちは喜ばなければならないのです。

Work.Tokyo Shinonome jct-01 Photo

『TOKYO HIGHWAY THEATER Shinonome jct-01』
      Metropolitan Expressway
        







《空間は名付けられることによって人間に承認される》Edward Relph

2013年2月5日火曜日

Work.Tokyo rjct-02 Photo

『TOKYO HIGHWAY THEATER rjct-02』Metropolitan Expressway
経済原則にだけ従い建造物をたてるとなると建築家による発想ではなく、地価に見合った床面積を確保するという資本の論理に従うしかないのだろうが、もう少し景観や環境に対する配慮があってもよいのではないか・・・

2012年12月10日月曜日

Work.Tokyo c2k-01 Photo

『TOKYO HIGHWAY THEATER c2k-01』
土地に定着しないホームレスが建てる家には、定着民の家にない清々しさを強く感じると共に 本来、生きることとは創造的行為である事を痛感させられる。定着民は時間認識を手に入れたと同時に敗北をも手にしてしまったのだろうか・・


2012年11月14日水曜日

Work.Tokyo rjct-01 Photo

江戸時代、各地の産物は河を使い江戸市中へ運ばれて来ました。明治に変わり物流は船から自動車へと徐々に移行し戦後は首都高速道路もでき自動車の時代となりそれまで活躍していた河川はひっそりと静かに流れるだけの存在となりました。河川と人間の関係は希薄になりましたが、首都高速道路と人間の関係は濃厚になったのだろうか。



2012年10月8日月曜日

Work.Tokyo 9f-02 Photo


『TOKYO HIGHWAY THEATER 9f-02』
首都高速道路9号深川線の木場
戦前までは材木置場や堀川に集積されている厖大な材木の香りが生臭いほどに感じられたとのことです。
現在は香りがしません。戦後日本人と家との関係は大きく変わりました。
生産と消費を効率良く回転させるには
人間の技によって造る家よりも安価で管理しやすい新建材を使った量産型の家の方が好都合なわけです。

2012年9月16日日曜日

Photo walk (Aug.2012 tokyo japan)

Goldfish
新宿区牛込界隈を散歩中のワンカット。日本の夏は非常に蒸し暑い為、金魚を観て涼む風習がある。私も数十年日本で生活してますので数多くの金魚を観て来ましたが、この写真の金魚には眼を奪われました。この場所に水槽を配置した人間には金魚を美しく飾ろうなどという企みや邪気が無い只々無心であった。これこそ病に罹る機縁のない健全な美である。


2012年9月9日日曜日

Photo walk (Aug.2012 yokohama japan)

Vending machine
散歩の途中にてのワンカット。自動販売機六台が勇壮に整列しているタバコ屋さん。一見無秩序に思われる日本の都市景観には、隠れた秩序がある?















2012年8月7日火曜日

Sergei Rachamninoff RHAPSODY ON A THEME OF PAGANINI

My Favorite Analog Records
Rachamninoff  
『RHAPSODY ON A THEME OF PAGANINI, OP.43』
相変わらずの酷暑、真夏の日中に部屋のカーテンを閉ざしエアコンを効かせ聴く一枚。ロシア革命により母国を離れた彼はアメリカにてピアニストとして生活する。ピアニストとして多忙な日々と母国を喪失したという思いにより、作曲活動から遠ざかってしまう。そんな中、1931年の夏休みをスイスの別荘で過ごした際に作曲したのが『パガニーニの主題による狂詩曲』

2012年7月18日水曜日

Tableware Glass bowl

My Favorite Tableware
日本の夏は蒸し暑いので、ガラスの器に花をいけ、なみなみと水を注ぎます。とても涼しく感じます。器の表面の優しいおうとつが光を柔らかく拡散し、日常を忘れさせてくれます。
Japanese tableware『yuyujin』

2012年7月17日火曜日

Thelonious Monk  Five by MONK by Five

My Favorite Analog Records
Music by Thelonious Monk『Five by MONK by Five』
ジャズの世界でモンクほどの異端児はいない。サッチモやマイルズ、ビル・エヴァンスやバド・パウエル等、天才は沢山いるがモンクは尋常な天才ではない異常な天才である。このLPを欲しいと思い、新宿 渋谷 下北沢 神田と…あらゆるレコード屋を徘徊して七年、ウェス・モンゴメリのLPを探しに行った白楽のタチバナレコードにて発見! 出会いとはこんなものである。夜な夜なこのLPを聴いていると、こり固まっていた筋肉や精神がほぐれ、もうどうでもいいやと思えてくる、なんとかなるさとね。

2012年6月10日日曜日

Completion of the exhibition brought

本日展示の搬入が完了致しました。
個展『ふたつの街とひとつの島』

たかが35枚されど35枚、準備には時間と労力がかかるものです。ギャラリースタッフの方々にお手伝いして頂き無事完了です。林さん、早苗さんありがとうございました。


場所は表参道の交差点(南青山側)を外苑前方面へ400m程歩きますとコンビニのポプラがありす、ポプラを越えてすぐを右に曲がり20m程歩き右の路地へ入ります。10m程歩きますとNadarの看板があります。初めて来られる方は解りづらいかもしれません、少し地下に下がって行きまして、少し階段を上がりますと12号室がございます。

Kou Morino Photo exhibition "Nagasaki Hiroshima Okinawa"
12 Jun.(Tue) ~ 24 Jun.(Sun.),2012
12:00 to 19:00. Last day 16:00 Closed
Nadar Tokyo



Nadar Tokyo
港区南青山3-8-5
M385ビルディング#12
http://nadar.jp/tokyo/






2012年5月28日月曜日

Solo Exhibition June 2012 Publicity poster

個展『ふたつの街とひとつの島』Publicity poster
個展の告知用A2ポスターを作成しました。あまり貼る場所がないのが現状ですが…。作りたかったというより、作らなければならないという意識が強かったような気がします。物理的にDMやフライヤーよりも大きい為、嫌でも眼に入る。それは自分自身への告知だったのかもしれません。ご来場をお待ちしております。
Kou Morino Photo exhibition "Nagasaki Hiroshima Okinawa"
12 Jun.(Tue) ~ 24 Jun.(Sun.), 2012
12:00 to 19:00. Last day 16:00 Closed
Nadar Tokyo

2012年5月4日金曜日

Work. Hiroshima-01 Photo

竣工当時の写真   撮影者不明
Completed at the time photosPhotographer unknown.
Hirosima Atomic Bomb Dome     日本人なら誰もが知っている原爆ドーム
正式名称は広島産業奨励館(広島県の産業品を紹介する場)
1915年4月5日竣工、同年8月5日開館、設計はチェコの建築家ヤン・レツル
日本人が原爆ドームに強い印象を持っている一つの要因として
ドーム型の屋根を持つ西洋建築ということが視覚的に作用している気がします。
日本は長い鎖国から欧米列強に眼を覚まされ開国
明治政府は富国強兵のもと自国の文化を低俗で恥ずかしいものとし
西洋文明を積極的に取り入れ国力の増強を図った。この当時
国家的建築物の設計は西洋建築に詳しい西洋人に依頼することが一般的であった。
私が言いたいことは、原爆ドームという建築物を見たときに感じる違和感から
当時の日本の状況が想像出来るということです。突貫工事で作った西洋擬きの国家には
すぐに襤褸が出るということでしょうか・・・。


Hirosima Atomic Bomb Dome